喘息とかで苦しかったってことを伝えたかっただけの長い文章

やっほう。元気じゃないぜ。コロナでもなんでもないのに咳がとまらんぜ。


ということで喘息+いろいろな事情で苦しかったお話です。


特に何が伝えたいわけでもなく、ただ自分に起こった話をつらつら吐き出したいだけです。

ごめんなさい。そんなに気を張って頑張って生きていられる人間ではないのです。





喘息発作前兆の風邪



…ということで、時は2020年。

2月頭に風邪を引きました。

当時の私は自分の修論発表はほどほどに学部の4年生の卒研発表をボケーっと見ている立場でした。

M2が1人、M1が2人、B4が3人。

卒研発表指導はM1に頑張ってもらって私は偉そうにしてるだけでした。笑


事件は卒研発表の二週間前。

発熱と真緑色の鼻水、咳の症状。 あーはい。完璧なる風邪。

私はM1にB4指導を任せて~


…みんな就活でいないやんけ💢

ということで、私しか院生がいない状態になったので病院はしばらく我慢。

次の日には治りましたが、3日後にぶり返したので近所の内科へ。


この時点で、
① 病院へすぐ行かなかった
② 喘息の担当医ではなく、近所の内科で済ませた

この2つのミスを犯しています。


その数日後に喘息発作へと移行し、喘息のかかりつけ医に(ようやく)吸入ステロイドと抗コリン薬を処方してもらうことになりました。


最初から我慢せずに喘息のかかりつけ医のところへ行っていれば、ここまでにはならなかったのでしょうかね。



アルバイト中の咳と救急車



大学生の2月頭って忙しいんですよね。

バイトを休もうにも代役が見つからず、店長に予約調整をお願いして出勤。

私が言うのもアレですが、結構な人気店でしたので、お客様にお帰りいただくことは日常茶飯事のお店でした。


排煙設備の雑魚な店内で、不慣れな新人と共に全力疾走でバイトしてました。

時々奥で隠れてメプチンエアー(喘息の発作止めね)吸ってました。


で、帰ってからも咳は治まらず、メプチンエアーを追加吸入。



事態は夜に動きます。

酷い咳で眠ることができず。ベッドでもメプチンエアーを吸入。


ようやく眠ったと思ったら、息が止まって目が覚める。

眠って、呼吸停止で目覚める。


深夜の2時に呼吸が止まるというのはかなりの恐怖です。

そこから一時間、呼吸困難で立つことが難しくなってきました。

夜間外来はネットで調べたところ車で30分。


息がだんだん出来なくなってパニックに陥っていた私。

タクシーで近所の総合病院へ行く、という考えが思い浮かばず救急車を呼びました。


救急車の中で救急隊員の呼びかけに応じているさなか、だんだん遠のいていく意識。

その場で私は衝撃的なことを言われます。


「喘鳴はないし、血中酸素濃度も十分だし、横になれる時点で重症ではない」



はい?

私のこの呼吸困難は?


そして近所の病院へ搬送されたら、呼吸困難が嘘のように回復。

恥ずかしい気持ちでタクシーで帰路につくことになります。


このときはまだ喘息と信じて疑っておりませんでした。




その後一ヶ月の地獄



そこから一ヶ月、地獄のような日々が始まります。

2日後の後輩たちの卒研発表は倦怠感で見届けられず。

その次の日の自分の修論発表は、マイクで喘鳴を響かせながら発表。

質疑応答は立っていることが困難で特例で着席。


自分の班のB4が優秀者セッションいったのに見れなかったんですよ、私。

馬鹿みたいですよね。病院行くのも我慢して頑張ったのに私、本番見れなかったんです。

んまぁいつも放置してて最後だけ手伝った私がどうこう言うもんでもないんでそれはいいです。やることないなってずっと放置してたので。私。B4後輩くんに数発殴られても文句言えない先輩でした。生きててごめん。


修論発表を終えてもロクに立つこともできない日々が続きます。

バイトもクソ忙しい時期に全然いけませんでした。

バイトの半分が卒業でいなくなり、残りの大半は不慣れな新人、というあの時期に、私、バイトリーダーの分際でシフトに穴あけてたんですよ。馬鹿ですよね。生きててごめん。



でも面白いもんで、日頃死にたい死にたいって思ってても、命の危機が迫ってくると、死にたくない死にたくないって思うんですよね。


生きててもどうしようもない人間なのに、死ぬのは怖いんですよ。

わがままですよね。人間って。



手足のしびれ、呼吸苦、倦怠感に犯される毎日で。

メプチンエアーにすがっても、楽になるどころか悪化する一方で。




毎日毎日 メプチンエアーの副作用調べてました。


ここで3つめの失敗です。

喘息のかかりつけ医のところに3日に一回くらい受診していたのですが、きちんと症状を伝えていませんでした。

「音も悪くないしピークフローもそんなに問題ないよ」

医師はそう言いました。

…この意味に私が気づくのは、不幸にももっと後の話です。


お断りしておくと、私がかかっていたのは喘息の名医と呼ばれる医師。総合病院でも「あそこでかかっているならあっちで見てもらう方が安心ですよ」と言われるくらいでした。

ただ、私がいい患者ではなかっただけのことです。



呼吸困難からの入院



時は3月9日。

就職のための引っ越しを3月10日に控えていた私は、いつものように呼吸困難に陥っていました。

ただ面白いモノで、一ヶ月も呼吸困難と戦っていると慣れてきます。


呼吸困難が始まった時点で、メプチンエアーを吸って同時に総合病院へ。

車内で休んで、落ち着いたら帰宅。


でもこの日は1時間たっても呼吸困難が収まらなかったので、夜間外来を受診しました。

「メプチンエアーを吸ってもだめなんでしょ?入院だね。今から点滴打つから。」


そういうことでアミノフィリンの点滴を打たれることに。

重めの喘息患者にはおなじみですかね?気管支拡張の点滴。


点滴を入れられたときに、容態が変化することになります。


…痛い。点滴が痛い。

同時に、手足がしびれ始め、同時に硬直というか、動かすことができなくなっていきます。

呼吸が速い、それは過呼吸から来る症状だ、と言われ。

医師と看護師にゆっくりとした呼吸を促されながら私は気づくのです。


あぁ。いつもの症状に似ている。

手足のしびれ。呼吸困難。呼吸のリズムもいつもと同じだ。と。


そこでようやく、「もしかしたら喘息ではないのでは?」ということに気づきます。

かかりつけ医、救急搬送のときの医師、そして夜間外来の医師。全員から喘鳴の無さを指摘されていた理由。メプチンエアーで体調が悪化する理由。

きっと自分は途中から喘息発作の呼吸困難ではなかった。と。


その日は朝まで入院でした。

退院証明書には「過換気症候群」の文字。

私、喘息じゃなくて過呼吸での入院になってましたね。ウケる。


どうでもいいですが、私母子家庭育ちで。

「就職してようやく幸せになれるんだ、もう母子家庭の子供って言われなくて済むんだ」ってずっと思っていたのに、体調不良のせいで普通の新入社員として入れないんじゃないか、って恐怖心に支配されていたもので。

そのことを思い出しちゃうと泣いちゃってどうしようもなくて、お医者さんとの会話ができない状態になってたのです。


会話の出来ないメンタルってなんだよ。我ながら片腹痛いわ。


…ここで私は心療内科の受診を決意します。

会話できない、って時点でもう駄目だって。




抗不安薬の処方と回復



心療内科へ行った後はとてもスムーズでした。

退院証明出したらすぐにワイパックスという抗不安薬を処方してもらえました。


抗不安薬飲めば過呼吸も落ち着いて、すぐに眠れて。

持っているだけで安心できて。

眠るときに一気に落ちる感覚が気持ちよくて。


毎日薬飲んで寝たい!って気持ちを抑えるのに必死でしたね。

精神安定剤飲む、ってやっぱり抵抗あるじゃないですか。健康体そのものだし。


こうして私の喘息&過換気症候群との戦いはひとまず「原因編は」幕を下ろすことになります。


残念ながらその後も自律神経失調症状はすぐに治まるわけはなく、突然手足がしびれたり、倦怠感でどうしようもなくなったり、といった症状は4月上旬まで続きました。


就職した会社の寮でのプチ懇親会の前にも過呼吸。

同期とご飯に行く前にも過呼吸。


ご飯はロクに食べることもできず。

「ちょっと調子悪いのかなぁ?」って同期にはごまかす日々を過ごしてましたね笑


新型コロナで入社式は延期。

出社はゴールデンウィークまでなし。


正直こうじゃなかったら、今頃会社からの信用ゼロですよ。

仕事中にいきなり体調崩す新入社員なんていりませんって。


未だに咳は止まりませんが、花粉による後鼻漏のせいなのでこれはまぁどうしようもなく。


2ヶ月ちょっとで、ようやく元気になりました。


長々長々書きました。

最後まで誰も見てないと思うけど。

文章下手だし、推敲して世に出すほどのもんでもないし。


生きててごめんなさい。

ただただ、ため込むことが苦手でした。


いままでも、そして、これからも。

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